豊川市にある伊奈城(三河国)
現在は伊奈城趾公園(豊川市伊奈町柳)
↓自作公園マップ
1.土塁(現存遺構)
伊奈城趾公園の北側に残る土塁は主郭(本丸)の一部
その昔『城山』と呼ぶ人もいた
公園整備で土塁南側の郭(くるわ)部をかさ上げしてしまったから公園側から高さを感じなくなってるけど、水田の高さから見ると相当高い
(公園東側より)
2.池(堀と堀内の逆茂木を模したもの)
公園東側にある池は土塁外側にあった堀を模したもので、発掘調査により確認され、堀から見つかった逆茂木(ふうのもの)も再現されている。
(池に水が張ってあるときは模擬逆茂木は見づらいかも)
北側の池の脇には葵紋のもととなる葵「フタバアオイ」が植えてあり、時期が良ければ実物がみられる。
3.矢倉(模擬建物)
絵図では矢倉は土塁上に建っていたよう
4.生念台跡(遺構を模したもの)
公園南西角にある生念台跡は火葬・埋葬施設を再現
南西面にある石積(丸石)は公園整備で作られたもの。
ここから拳大の石が敷き詰められていた(集石遺構)ことから、それを再現し土留も兼ねて南西面に石積をしたと推定。
5.礎石(復元)
発掘で見つかった建物礎石を復元
6.井戸(模擬)
解説はないが、生念台跡近くにある円形に並べられた石はこの付近に有った井戸跡を模した物。
発掘調査では深さ2.5mの石組みのある井戸跡が見つかっている。
中心部に石が敷き詰められて焚き火跡っぽくなっているのが残念
7.石碑
土塁上に建つ石碑は、大正2年(1913)(本多忠俊三百五十年忌)に旧膳所藩士平田好氏の篤志に基づき伊奈城趾土塁上に建碑。表文字は元膳所藩藩主本多康穣書。
公園名は「伊奈城趾公園」で石碑と同じ「趾」の字を使っている。
今なら「址」ほ方が一般的なのだろうけど石碑にならい「趾」を使っていると思う。(私見)
公園内には遺構の解説のほか、「葵の紋」発祥・伊奈本多氏にまつわる解説・石碑等がおかれている。
トイレ近くには保存会が掲示している伊奈城の資料も展示されている事もある。(有志によるもののようなので劣化が激しかったり飛んで行ってしまっていることもある)
伊奈城と呼ばれているのは中世居館(または居館の祭祀施設)だろうと推測
近世城郭と比較するとすこし物足りない気もするけど、発掘調査で見つかった施設が再現されていることも含め湿地帯の中世居館が開発から逃れ残されてるだけでも貴重かも。
参考
豊川市観光協会:
伊奈城趾公園豊川市:
伊奈城趾公園
城人 理文先生のお城がっこう 歴史編
第2回 豪族たちの居館
犬山城を楽しむためのサイト 【お城の基礎知識】中世城郭※個人の感想・意見です。事実と異なる場合もあります。