三河吉田城 のある地に、『城』が築かれた時期について
通説では永正2年(1505)(
年表参照)
(この時期には豊橋でも吉田でもなく「今橋」と言われていたよう)
別説では、明応6年(1497)ころ
これは神社(
安久美神戸神明社(あくみかんべしんめいしゃ))の棟札等から明応6年ころには城があったとうかがえるよう
[三河吉田城 岩原剛 2018.8.10 P110-112]
豊橋市美術博物館のHP「
吉田城について」でも紹介されているパンフレットでは築かれた時期は通説の永正2年となっているものの「一説には明応5年(1496)」と付け加えられている
[東海の名城 吉田城 豊橋市文化財センター H27.8.31]
2018年7月に開催された 豊橋市美術博物館「みかわの城 吉田城と天下人」展では明応説が採用されていた。(通説ではない説の採用についての注意書きもあった)
「明応6年(1497)このころ、駿河の今川氏親の命で牧野古白が今橋城を築くといわれている」
[みかわの城 吉田城と天下人 豊橋市文化財センター H30.7.21]
Wikipedia:吉田城_(三河国)では通説のみ紹介されている(2020.2.29閲覧)
2020年現在、吉田城鉄櫓(資料館)内の展示などは永正2年となっているけど、いつかは変わるのだろうか…
安久美神戸神明社は、江戸時代には吉田城内(武家屋敷街)にあり、現在は駐車場になっている(「吉田藩藩士屋敷図」より)
豊橋公園案内図に示すと ↓
安久美神戸神明宮旧阯の石碑
2020.3.8:年表へのリンクを追加