三河吉田城本丸の東にある雁木(階段)は、城内で残るものでは最大の幅をもった雁木(がんぎ)
慣れないころ、階段のように整然としていないので雁木(階段)には見えませんでした。
雁木(階段)の上から見ると写真のような感じ
土壁の跡(土壁の土台・基壇)との間の空間(武者走り)がかなり接近していると感じます
この武者走りの広さだと武器を持った兵士がすれ違うのは困難な気がするので、水平方向の移動は考えず雁木(階段)の昇り降りだけで兵を配置するために雁木の幅を広くしたのかも
武者走りの幅を広くすれば雁木(階段)の幅は狭くても良かったのでしょうが、
先人が指摘していたように本丸に建っていた御殿の関係でこの幅になったのかもしれないと思った次第
(吉田城以外の城郭と比較したわけではありません)
(参考:
城びと>理文先生のお城がっこう>城歩き編
第19回 土塁の役割を考えよう)
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