伊奈城とは時代違うけど、その近所にある江戸時代の遺構
高札雨覆(高札場)
中央に何か描いてある気がする…
(他の江戸時代の「高札場」の画像見ると板は無く高札付けるための桟だけがあるから、この板は明治以降に紙を貼るために付けたのかもしれない)
↓赤坂の高札場(復元)桟に五角形のあの板(高札)を付けて掲げてある。
googleストリートビュー格式高い屋根じゃないけど、鬼瓦が乗ってる。
瞳が大きく金色(だとおもう)に塗られた鬼瓦が自分の目には愛らしく見える
左に説明が書いてあるようだけど読めず。近年貼ってあった説明文は↓
この建物は、徳川末期(凡そ150年前)伊奈村が吉田藩領であった当時に建てられた高札(藩のお触れ書を住民に知られるための高札)雨覆で、明治維新以降は伊奈村役場の掲示場として使用され、明治の末に伊奈村が豊秋村と合併して小坂井村となった後は、伊奈区が各種掲示に使用して今日に至ったのです。
伊奈史跡保存会
(2016年7月撮影)
伊奈城・伊奈本多氏に関連のある
永正寺の南側、県道375号の向かい側に高札雨覆あり。
昔は県道375号が無かったものの少しずれた方向に旧道があって、高札雨覆付近が変な形の道になってるのはこれが理由だったよう。
今昔マップ より(加工)
永正寺が以前は集会場であったらしいと町誌に書いてあったから古くからこの地区の中心(集まりやすい)ところだったのかも。
古いものとはいえ幕末の街道沿いではない一村の雨覆だけだと史跡指定などもされないだろうし、木製であるが故いつかは取り壊されるだろうと心配。
個人的に「絶滅危惧遺産」に指定。
※個人の感想・意見です。事実と異なる場合があります。