豊川市にある伊奈城(三河国)
- 15世紀中ごろ伊奈本多氏により築城。戦国時代、時には今川氏に、時には松平氏に付き所領を守る。天正8年(1580)に本多忠次が養嗣子として酒井忠次次男(康俊)を迎える。天正18年(1590)徳川家康が関東転封されると下総国小篠へ転封。伊奈は吉田城主池田輝政の所領となり廃城。
- 廃城後も「葵の紋」発祥ゆかりの地として親しまれ土塁・場内にあった池が残り、現在は史跡として指定され公園として整備されている。また、約150年間城主だった伊奈本多氏の墓所等もあり。
深田に築かれた伊奈城は湿地に浮かんだ城のように見えていたかもしれない。
現在でも水田の中に伊奈城趾公園がある。
伊奈城の遺構など
伊奈城の主郭(本丸)の一部・土塁が残る。
「三葉葵の紋」発祥にまつわる池。
伊奈城の城門が移されたと伝わる。
伊奈本多氏にゆかりのある場所
伊奈城を築いた伊奈本多氏の菩提寺
舞々辻にあった伊奈城主五代の墓所が移転されている。
伊奈城付近(同市伊奈町鶴田)にある墓所で忠次・忠俊夫妻・光忠・光忠夫妻 五氏の墓碑が祀られている。
忠俊夫妻の埋葬塚で「
お松見」が作られる以前の墓所。
かつて伊奈城主累代の墓所であった。
伊奈本多氏が祀った伊奈天神社がある。伊奈本多氏が植えたとされるイヌマキが2本現存している。
本多正助が開山したと伝わる。
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※個人の感想・意見です。事実と異なる場合もあります。(城も歴史もかじった程度の知識、2024年3月の内容です)
参考文献
『徳川家御紋章起源三州伊奈城』葵尋常高等小学校、明治41年7月
『三河金石文字集』三河全国高等小学校長会、大正8年(
国立国会図書館デジタルコレクション)
『前芝村誌』前芝村誌編纂委員会、昭和33年
『豊橋市土地宝典』大日本帝国市町村地図刊行会、1936年(
とよはしアーカイブ)
『小坂井町誌』小坂井町、昭和51年
『小坂井のむかし話』小坂井町説話集、昭和57年
『地名大辞典 愛知県』角川書店、1989年
『伊奈城趾』小坂井町教育委員会、1995年
『とよはしの歴史』豊橋市、平成8年(
とよはしアーカイブ)
『愛知県中世城館跡調査報告書3』愛知県教育委員会、平成9年
『三州伊奈本多家関係資料』伊奈史跡保存会、平成15年
『豊橋百科事典』豊橋市、2006(
とよはしアーカイブ)
『諸国古城之図』浅野文庫蔵 1981年 伊奈村(三河宝飯)(
広島市図書館Webギャラリー)
その他、現地解説板など
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