豊橋市美術博物館のリニューアル
びはく講座「発掘調査から読み解く吉田城の石垣」行ってきた
文化財センターから移動してきた中川氏の講演
概要
石垣に関して外観からのみの推測が妄信されていた。
石の材料と積み方で「チャートの野面積み=池田期」「花崗岩の打ち込み接ぎ=松平忠利期」
近年行われた発掘調査で学術的研究ができる材料がわかってきた。
①黒鉄櫓下の石垣に見られる安土桃山期の積み方「横長石材」の特徴が本丸南面にもみられる。
②川手多門下の石垣はチャートが多用され従来は古い石垣と分類されそうだがや穴を含む花崗岩があるので矛盾する。
③本丸東の裏門付近は下部はチャートが中心で古い石垣と分類されそうだが、内部の土は明らかに土塁を削った痕跡・池田期の瓦片があるなど江戸初期の造営とみられる。
④千貫櫓台には池田期から櫓があった痕跡がある。石垣内側に宝永地震(1707)の修復に使用された瓦が埋められていることからその後の修復と思われる。
⑤南多門石垣の内部から水野期の瓦がありその分布から、松平忠利期に作られ水野期に拡張されている。
⑥所謂山田石は長年波打ち際にあった痕跡があることから、名古屋城築城期から長期間海にあったと認められる。
以上から
黒鉄櫓台:池田期
(
2020年3月撮影)
内堀腰巻石垣:池田期・松平忠利期
裏門:松平忠利期
(
2015年10月撮影)
南多門:松平忠利期、水野期以降に拡張
千貫櫓(表面):宝永地震より後年
で、これまでの発掘でわかっただけでも、言われてきたほどシンプルな話ではなかった。
講演のあとで、中川氏の好意で現地説明
その後で、石に刻印が見えるという人が…
正直、「ここに刻印がある」と指差してるがさっぱりわからず。
いわれてみるとそう見えなくはないが、それは「
パレイドリア効果」だと思う。
石垣に書かれた「落書き」を考える(閲覧注意!)