忍者ブログ

よしだ城見聞記

愛知県豊橋市にある三河吉田城の城郭に関連する事などを聞いたり調べたりしたことの覚書  歴史・考古に関して素人

吉田城の遺構:金柑丸

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

吉田城の遺構:金柑丸

豊橋公園本丸広場(吉田城本丸跡)の東にある金柑丸(きんかんまる)
吉田城_金柑丸

金柑丸は本丸と三の丸の間にある南北に長い曲輪
金柑丸跡標柱

金柑丸には現在、陸軍駐屯時代の営内神社であった弥健神社の鳥居と標柱が残され、その奥には営内にあった軍人記念碑神武天皇の銅像が移設されている
(参考:豊橋市美術博物館>弥健神社


江戸時代は金柑丸稲荷社があり、石碑も建てられている
金柑丸稲荷跡
金柑丸稲荷社は、永正2年(1505)には牧野古白が勧請したと伝わり、正徳4年(1714)に松平信祝が再興したといわれる
明治11年(1878)に吉田神社内に移された(吉田神社内の解説板より)
(参考:吉田神社

2019年1月撮影

金柑丸の南には豊城(とよき)神社の標柱が建てられている。

豊城神社は正徳2年(1712)に松平信祝が吉田城二ノ丸内に建て、明治18年(1885)陸軍駐屯地となるために移され、現在は市内東田町にある。
(「豊橋百科事典」P437)
PR

コメント

ブログ内検索