豊橋公園本丸広場(吉田城本丸跡)の東にある金柑丸(きんかんまる)
金柑丸は本丸と三の丸の間にある南北に長い曲輪
金柑丸には現在、陸軍駐屯時代の営内神社であった弥健神社の鳥居と標柱が残され、その奥には営内にあった軍人記念碑神武天皇の銅像が移設されている
(参考:豊橋市美術博物館>弥健神社)江戸時代は金柑丸稲荷社があり、石碑も建てられている
金柑丸稲荷社は、永正2年(1505)には牧野古白が勧請したと伝わり、正徳4年(1714)に松平信祝が再興したといわれる
明治11年(1878)に吉田神社内に移された(吉田神社内の解説板より)
(参考:吉田神社) 2019年1月撮影金柑丸の南には豊城(とよき)神社の標柱が建てられている。
豊城神社は正徳2年(1712)に松平信祝が吉田城二ノ丸内に建て、明治18年(1885)陸軍駐屯地となるために移され、現在は市内東田町にある。
(「豊橋百科事典」P437)