吉田城本丸全体の3Dモデルで作るとき、千貫櫓横にある斜めになった石垣の上にどうやって多門を建てたのだろうと考えつつ、当初は斜めの石垣上に柱を立てた姿を3D化していました。(3Dモデルは依頼者にも権利があるため公開できません)
3Dモデル作成後、吉田城に関する資料を見直していく過程で昔の絵葉書に多門台の石垣が写っている書籍を発見。
比較をすると当初は石垣上部は平らだったものが、千貫櫓跡に建つ「吉田城跡」石碑が建てられた頃には現在のように斜めになっていたと推測しました。(「絵葉書のなかの豊橋」P126,135,138)
欠けてしまった石垣の写った絵葉書では、石垣の隅には千貫櫓台と同程度の大きな切石を使った算木積が写っています
現在欠けている石垣が崩れてしまったのか石材転用のため取去ったのかは、調べた限りは解りませんが石材はどこかに転用されているかも知れません
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(2022.7.19 画像追加)