豊橋市美術博物館のツイッター(2022.6.21)に吉田城址の千貫櫓台石垣の発掘写真が投稿されてた。
今の発掘場所はこの辺りらしい
豊橋市美術博物館2022.6.21
その写真をよく見ると想像と違う光景があった。
千貫櫓台の南面は石垣が2段積まれている(正式名わからない)
予想では、手前の石垣(石垣2)は奥の石垣(石垣1)が地震で崩れてしまったので後で作ったと想像してた。
この事については過去の記事参照
吉田城千貫櫓の発掘に関する記事2020/3/14で考えたこと
その考えからすると、手前の石垣(石垣2)の裏側には元の石垣(石垣1)の石があるはずだけど…
豊橋市美術博物館2022.6.21写真加工
石垣2の最上段の石が、石垣1のところまで食い込んでいて、その下は裏込め石がある…
例えば下のような場所が壊れたら…
地震で一部が崩れ、残った部分とそろえる為今のような2段石垣にした(この場合、隅の算木積が残っていたため上部は元の位置にする必要があった)
本当は傾斜をゆるくしたりしたかったけどしっかりした算木積部分があったのでデザイン上できなかったか?
でも、この方法なら、新たな石の調達は多くなくかつ全体としては石垣の傾斜を緩く出来る(もともと石垣1で使われてたものを石垣2の位置で使うだけで済みそう)
ただ、2段擁壁と同じで石垣1の足元の孕みだそうとする力は石垣2の最上段だけで負担することになるので力学的には正解ではないが…(石垣2の最上段に使う石と裏込めは特殊かもしれない)
やっぱり外観だけでは想像できないことが内部見ると想像膨らむ。
※個人の感想・意見です。