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よしだ城見聞記

愛知県豊橋市にある三河吉田城の城郭に関連する事などを聞いたり調べたりしたことの覚書  歴史・考古に関して素人

江戸時代の東三河地域の地震・津波被害と城郭被害資料

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江戸時代の東三河地域の地震・津波被害と城郭被害資料

前回の続き、 豊橋市美術博物館 「未来へつなぐ災害の歴史展」 行ったとき、地震の事を学芸員さんに質問していた人がいて自分なりにまとめた

江戸時代の地震について 東三河地域では「宝永地震」と「安政地震(安政の大地震)」が知られている

 「宝永地震」は、宝永4年10月4日(1707)に発生した地震で、南海トラフに沿って東海・東南海・南海の3つの震源がほぼ同時に活動したと考えられる地震。また、その49日後12月16日に富士山が噴火している。
 質問した人は「富士山の噴火も起こった地震だった…」と言ってたけど間違いとはいえないかな?(個人的には関係性は薄いと思ってる)


内閣府
災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 1707 宝永地震 「はじめに」より(2020.2.15閲覧)
 
津波被害状況:三河湾沿岸では3~5mの津波があり、蒲郡・御津は塩田被害、豊橋・田原(汐川)は新田被害が大きかった。太平洋岸では6~10mの津波があり、太平洋岸の十三里間の漁船残らず流損し、1村あたり数人が流され死亡した。

豊橋市
東三河地域における地震による津波の歴史 パンフレットより引用(2020.2.15閲覧)
 

 安政地震(安政の大地震)は嘉永7年から安政年間に起った地震の総称で、東三河に被害があった地震では嘉永7年(安政元年、1854)11月4日午前9時ごろの「安政東海地震」と翌7日午後4時ごろの「安政南海地震」
 江戸でも安政2年(1855)10月2日に「安政江戸地震」が発生
展示されていた鯰絵はこの時のもの

内閣府災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 1854 安政東海地震・安政南海地震 「はじめに」より (2020.2.15閲覧)

 津波被害状況:(安政東海地震)三河湾沿岸では3~4mの津波があり、堤防が破壊され、家屋が流失し、死者が出た。特に豊橋の被害が大きかった。太平洋岸では8~10mの津波があり、家屋が倒壊し、山くずれがあり、漁船の 流失・破壊、漁網の流失、死者・溺死者を出すなどかなりの被害があった。余震は7か月続いた。
(安政南海地震)三河湾沿岸では西浦で家屋が浸水し、太平洋岸では堀切に巨大津波が襲撃した。(赤羽根では津波は当所に至ってはたいした程度でなかったとある。)
豊橋市東三河地域における地震による津波の歴史 パンフレットより引用(2020.2.15閲覧)


どちらも南海トラフで生じた巨大地震で甚大な被害があった。東三河地域の地震被害だけで言えば、「宝永地震」の方が大きかった。
地震による津波の高さは同程度みたいだけど安政地震では立て続けに津波に襲われたようなので単純な比較は出来ないかも


内閣府災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 1707 宝永地震 では、「城郭被害図にみる宝永地震」の項目があり(三河吉田城はP235~238)(2020.2.15閲覧)
こちらは地震の資料をつくる際に参考になった

また、上記報告書(P212)にあるとおり宝永地震の被害分布をデータベース化したものを「宝永地震城郭被害データベース」として閲覧できるようになっている。地震被害を知ることはもとより、各城の資料は縄張などの絵図や近代の地図もまとめられているので、城郭の概要を知るには貴重した
(当初は報告書内にあるリンクにマップが表示されていたと思うが、現在は該当ページが削除されている2020.2.15)

宝永地震城郭被害データベース(google Map) (2020.2.15閲覧)
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