忍者ブログ

よしだ城見聞記

愛知県豊橋市にある三河吉田城の城郭に関連する事などを聞いたり調べたりしたことの覚書  歴史・考古に関して素人

「内堀」は水堀?空堀? 内堀(三河吉田城)

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

「内堀」は水堀?空堀? 内堀(三河吉田城)

お断り
本丸周囲の内堀は「空堀」であったというのが通説です。発掘調査でも確認されています
(「三河吉田城」P94、「三州吉田城の石垣と刻印」P64)
2018年3月にあった鉄櫓下石垣お発掘調査現地説明会でも聞いた気がします
尚、総構の外側の堀には、江戸時代に通水されていたようです


 吉田城址を幾度かガイドと共に見て回っていて『吉田城の内堀(本丸堀)昔は水堀だったのか?』と質問する人が度々いました
 私自身、堀といえば名古屋城にあるような「水堀」を連想してたし、聞き伝えでも「昔は水堀だったものが軍隊時代に埋められ、近代作られたダムで水位が下がって空堀に見える」という話を聞いたこともあるのも事実
 でも、内堀と豊川(とよがわ)の間にある川手櫓跡近くに立つと「水堀」とは思えない
 以下、私なりの検証

(「水堀」の参考:城びと 第69回【構造】堀って泳いで渡ることはできなかったの?

1.堀が埋められて今の高さになった?

 吉田城の3Dモデル作成のため石垣等の高さを測った際に堀と豊川(とよがわ)の水位(満潮時)も測ったところ約4m(河辺の石の藻の痕跡から)
 明治以降に堀が多少浅くなったとはいっても水堀となるためには今より6mは深くなっていないと朝倉川・豊川の水を引き入れる事は無理そう(「水門」についての考察と同じ)

高さのイメージ(水面からの高さ)
吉田城堀の高さ

2018年の発掘調査現地説明会での内堀
掘ってあるあたりが堀の底との事だったらしいので、豊川の水を引き込める高さではない気がする
吉田城鉄櫓台下内堀発掘
2018年3月4日

2.豊川(とよがわ)の水位は下がったか?

 何度も吉田城へ足を運んで気づくのは、吉田城のある当たりの豊川は、潮の干満で水位が変わっている(『感潮区間』というらしい)
 小さな二級河川の河口近くに住む自分の経験上、吉田城付近の河畔は河口に近い香り(臭い)がする…(学術的なことは解りません)
 感覚的には川の河口に近い環境で、豊川上流にダムがなかったとしても吉田城周辺では水位は変わらないはず。
 だから、内堀に水を引き込めるほどの水位の差は生まれないと思う。
豊川河畔

3.(三河吉田城の)堀=水堀と思ってしまうのはなぜだろう?

 絵図などの堀の表現。水色で堀を表現されると水堀であったと思ってしまう。
 特に北側には豊川(とよがわ)朝倉川(あさくらがわ)があるので地図で見るとそれを疑わない。
私自身も色々と調べるまで勘違いしていた…
吉田城址案内図
吉田城案内図


古い絵図でも堀が水色で塗られている
 絵図から他に解る事は、内堀の北東側(入道櫓の下)には門があり、北西側(鉄櫓の下)は川手櫓が建っているので水を引き込むのは難しい。
三州吉田城図
画像提供:豊橋市中央図書館、一部加工
https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11C0/WJJS02U/2320105100


個人の感想・意見です
PR

コメント

1. 関連記事:豊川の水位はダム建設前後で変わらない!?

ブログ更新しました / 三河吉田城 豊川の水位はダム建設前後で変わらない!?: https://himikashiro.edoblog.net/Entry/95/

ブログ内検索