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豊橋公園に財務省から貸付の謎「土塁」、吉田城の新土塁?
国からの文書によると、吉田城 朝倉川沿いに「(吉田城の)土塁」があるかも… って記事
(ここでいう「土塁」は、城の軍事目的で人工的に作った土塁と解釈しています)
自分もマップ作るために何度か見たけど、藪になってて城の遺構なのかどうか解らなかった。
城下橋付近から 2016.11.18撮影
今回、blogの写真みても木が多いし良くわからない。
豊橋公園に財務省から貸付の謎「土塁」、吉田城の新土塁より
そもそも、朝倉川の右岸(北側)は三角州で左岸(豊橋公園側)の河岸段丘
地理院地図(一部加工)
朝倉川挟んで標高が違うから人工的なものかどうか、現状ではよくわからない。
地理院地図(一部加工)
三州吉田城図では土塁っぽく見えなくもないけど、自然の法面を表現したとも思える。
神社の裏手は柵っぽいものが書いてある
とよはしアーカイブ(一部抜粋)
日本城郭史資料でも斜めに組んだ柵っぽいものがあるけど、土塁かどうかは微妙(ハチマキ石垣っぽくも見えなくもない)
※この図そのものが昭和期に書かれたものと推定されるものだから正しいかどうかは不明
国立国会図書館デジタルコレクション 日本城郭史資料 第20冊〔昭和期〕(一部加工)
昭和初期の航空写真の絵葉書の隅に写っている光景
(右下の白い塔は神武天皇像その向こう側が朝倉川のはず)
樹木は有る気がするけどはっきりしない。
絵葉書の中の豊橋 一部抜粋
神武天皇像の写った写真で確認。
向こう側が少し盛り上がっているように見えるけど、「城の土塁」と言えるかどうか微妙。
「絵葉書の中の豊橋」 一部抜粋
総構えの土塁でさえ3mはあったと思うので写真に写ってるものが江戸時代以前からあったとしても、
城の土塁(防衛上の目的)というより盛土(土流出を防ぐために周囲に巡らせた畦みたいな)に近いか…
・神武天皇像、明治32年は中八町に建立、大正5年に練兵場内に移転
参考:
とよはしアーカイブ 豊橋百科事典>
神武天皇像
以上から、国が作った貸付目録に書かれた「土塁」はたんなる「盛土」で、分類するときに盛り上がってた場所をひとくくりに「土塁」と書いただけだと予想。(学術的に分類はしていないのではないか)
(ここでいう「土塁」は、城の軍事目的で人工的に作った土塁と解釈しています)
※個人の感想・意見です。事実と異なる場合もあります。