吉田城址の本丸跡(豊橋公園本丸広場)の南口から土橋を渡ると、正面に吉田城址の解説板もあることもあり、目立っていて本丸の顔ともいえる石垣が千貫櫓台の石垣
一見すると単なる石垣ですが、南多聞の土橋(通路)から下を覗くと石垣の下が土塁のように見えます
土塁の上に(この高さの)石垣があるのは吉田城内ではココだけです
他の城とを多く見比べたわけではありませんが、珍しいと思います
(同じような土塁+石垣を知っている方いたら教えてください)
石垣が2段(又は2重)に見えるのも特徴
高い石垣の隅は算木積み(参考:城びと 超入門! お城セミナー 「
第41回【鑑賞】石垣って積み方に違いがあるの? 」)になっている石垣であるのに対し、手前の低い石垣は算木積みも見られず厚さは石1個分くらいしかない、単に高い石垣にもたれかかっている石積みにも見える
また、戦術的に考えて、攻撃側からすれば低い石垣の上が足場になるし、防衛側からすると低い石垣の上は人も立つのもやっとで役に立たない気がするので、戦術的な意味は無さそう
重厚感を出すための演出なのかも
この部分については、江戸時代に見舞われた大地震による被害の記録があり、そのときに修復のためにこのような姿になったという説あり
(「三河吉田城」 2018.8 P67)
「
吉田城千貫櫓の発掘に関する記事2020/3/14で考えたこと」はこの説にから思いついた 事
昨年から千貫櫓跡の発掘調査が始まって実像がわかりつつあるよう
その成果に基づいて加藤氏が説を提起されています。「
第3回とよはしシンポジウム 池田輝政の吉田城」(2020年2月1日開催)でも話されました
説についてはこちらの記事にも書かれてます
城びと
「理文先生のお城NEWS解説
第7回 吉田城(愛知県豊橋市)の発掘調査 1」
「理文先生のお城NEWS解説
第8回 吉田城(愛知県豊橋市)の発掘調査 2」
※記事は2019年7月時点のもの
今年2020年の千貫櫓跡発掘調査に関する記事
東愛知新聞「
吉田城千貫櫓は全国的にも珍しい特殊構造」2020.3.14閲覧
東日新聞「
輝政時代の城郭―実像解明へ前進 吉田城千貫櫓発掘調査/大量の瓦発見 高い格式裏付け」2020.3.19閲覧
今年も引き続き調査されていますので、新たな成果が有るかも知れません
個人の意見・感想です