豊橋公園本丸広場(吉田城本丸跡)の南口(虎口)正面西側の、土橋から目に止まる石垣の上が千貫櫓(せんがんやぐら)跡
千貫櫓は三重櫓として絵図では描かれています
「吉田城本丸二之丸絵図」を加工(吉田城址解説板より)
千貫櫓跡である石垣(千貫櫓台)の上には人の背丈ほどもある「吉田城趾」と刻まれた石碑があります
(下から見上げると大きくは感じませんが…)
(2017.8.28撮影)
この石碑は裏面の金石文によると大正8年ごろ建てられたもので、建てられた当時は旧日本軍の駐屯地でした
なお、千貫櫓台の上部へは、2018年6月ころから石垣の安全性の懸念から立入禁止となっています(2020年3月現在)
また、2019年には千貫櫓跡の発掘調査が行われ、2020年も継続調査されました
今後新たな事実がわかるかも知れません
2019年3月の現地説明会の様子
千貫櫓の読み(せんがん)は、「とよはしの歴史」豊橋市 H8.3.31 P94 より
ここでの櫓の規模の表現については「天守・櫓の重・層・階」参照