吉田城の石垣の中でも新しい話題が多い(と思っている)裏門周辺の石垣
最近は昨年5月頃に石垣の石が抜け落ち、現在は石垣に近づけません
(2019年12月撮影)
昭和46年8月、裏門北側の石垣が崩れて崩れた石垣の中からは新しい時代の瓦が多数見つかったことから明治以降の時代(軍隊駐屯時代)にも修復されていたと推測されているようです(年配の方から直接聞いたこともあり)
「吉田城の石垣と刻印」P12
昭和29年の写真と照らし合わせ石が違う場所(ハッチ部)ハッチ部より右側が昭和46年に崩れたと思われます
(ハッチの右側は写真には写っていませんでした)
江戸時代、記録にある2度の大地震でも崩れているので、この付近は築城当時の姿である可能性は低く、遺構としての価値も低いのかも知れません。
「三河吉田城」P55
裏門付近の階段(雁木)の南側(右側)は落とし積みで角は算木積みがわかる(2015年10月撮影)
対して北側(左側)は布積みぽいうえ 角は不揃いで曖昧な感じ(2015年10月撮影)
同じ時期の積み方(修復)ではない気がします
明治以降に積み直された象徴ともいえるコンクリート片。
この1コのために高い評価になっていないのかも…
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